1都2府1県に「緊急」事態宣言が、7県にまん延防止等重点措置が、また、各自治体で独自の「宣言(「非常」事態宣言)」とかが発出されています。その中で、日本語の受容力を示しているのかもしれませんが、「緊急」とか「非常」とかいう抽象的な単語を曖昧に使うことによって、誤解・摩擦・衝突といったものチラホラとが見受けられます。
では、世の中から抽象的・曖昧な表現をなくすことが正しいのかと言うと、必ずしもそうではないのではないか、と考えさせられる事例にも多数出会う先週でした。
いわゆる「生産性」を上げる、という議論になると、「コストを下げること」という解釈と行動が目立ちます。
単純に「やらない・やめる」のみに思考を限定し、もう一つの軸である「価値を増加させる」という領域を忘れたゼロサム・ゲームに陥った時、世の中はどんどん活力や希望を失い、早晩先の見えない「持続不可能」な世界に陥るような気がします。
多くの「付加価値」は、曖昧で一見すると無駄に見える時間や機会から発生してます。近年の情報主義社会においては、「無駄な思考・無駄な発想」こそが付加価値と言っても過言ではないかもしれません。
「デジタル・トランスフォーメーションは、現在あるビジネスのコストダウン型ビジネスを生む」という冷めた意見を披露される御仁もいらっしゃいますが、デジタル技術の活用により、今までになかった出会いや組み合わせが生まれることによる付加価値創造、「セレンディピティ」と呼ばれるような素敵な偶然・思いも寄らない出会いを生み出す可能性に、もっと着目しても良いのではと思います。
使い古された効率指標のみを馬鹿の一つ覚えみたいに追いかけ、他人があれをやっているこれをやっているという情報を、暗に批判めいた印象で、格安で仕入れた公共インフラを使って垂れ流している「思考停止」状態の方々には、今の状況が本当に「緊急」で「非常」なのか、「緊急」で「非常」でありつづけるのか、あり続けるのであれば何をなすべきか、そのためにどのような目標を持つべきか、という「プラス」情報の収集と発信に時間を割いていただきたいです。
科学的に確認も取れていない情報を、あたかも「しょうがない」所与の条件であるかのように喧伝し、真面目に考える当事者である仲間同士が、ゼロサム・ゲームの塀の中で、やらなくてもよい批判や争いを巻き起こすのを高みの見物を決め込んでニヤつく、という「ろくでもない」感性は持ちたくないし、持ってほしくない。
「あれかこれか」という「二者択一」の思考の呪縛から自分たちを解き放ち、「第三の道」に進んでいくエネルギーを世の中に広げる一助となりたいものです。
ということを、週末の報道と、先日最終回を迎えたマンガを読みながら考えてみました。