釜石を離れ、南三陸へ。道路の整備も進み、復興支援に頻繁に来ていた7−8年前に比べると半分ぐらいの移動時間
何度と訪れた南三陸さんさん商店街も恒久施設への移転が終わり、未来に向かっての体制が整いつつある感じ。まずは腹ごしらえということで、弁慶鮨さんへ。春を感じさせる海の幸をいただきました。その後、地元の語り部さんに同行いただき、バスで被災の各所を回ります。
高台にあったにもかかわらず被災した戸倉中学校跡地へ。
現在は地域センターとして活用されている建物には、当時津波が来た高さが記録されてます。
時計は14:46を示し続けている。最後まで職員の方が避難のアナウンスを続けたエピソードで知られる防災対策庁舎を含んだ、震災復興祈念公園の整備も進んでます。商店街に戻り、及善蒲鉾店の宮本さんから、当社も加盟する日本遊技産業経営者同友会と南三陸町の震災から今に至るつながりをお話していただきます。
自社だけでなく、社会とのつながりをどのように持っていくか、少しはイメージすることに役立ったでしょうか。
内定者たちとは仙台市でお別れし、翌日の企業訪問に向け仙台に向かいます。
内定者たちは常磐自動車道をひた走り、福島第一原発の横を通り過ぎて千葉県へ。
2020年3月11日現在で死者・行方不明者1万8千人超、岩手県で4,675人、南三陸町だけでも死者620名・行方不明者211名を記録する未曾有の天災。
今回の新型コロナ禍においては、岩手県は研修当時で感染者数ゼロでありますが、生命の大切さ、残されたものがやるべきことの実体験においては、ヒシヒシと五感を揺さぶられるものが有りました。
例年とは異なる形での開催となりましたが、短い準備期間の中でこれだけの研修の機会を作ってくれた採用プロジェクトにも感謝です。
チャレンジングな環境の中で開催するに値する内容だったと自負しております
夜の仙台・国分町。宮城県もこの時点では感染者数4名と、首都圏に比べれば新型コロナの広がりは抑えられている状況でしたが、街全体を緊張感が包んでいる感じが見て取れました。
翌日、再び岩手県、北上市へ。
ともに学ぶ小田島組様が新設した社屋「KITAKAMI O2」の視察と、ITツールを使った業務改善の打ち合わせに。もともとゲームセンター・カラオケボックスが入っていたという施設をオフィスにリノベートするという事業。高い天井や開放的なパーテーションなど、一見すると(大変失礼ですが)岩手にいることを忘れさせる空間となってます。
今回の新型コロナ騒動は、生物学的なウイルスによる人体への影響以上に、人の意識・価値観という社会心理に大きな影響を与え続けていると思います。その事によって人々の価値観、それに基づく行動も大きく変容することが想定される。素地として進行しているIoT技術の普及により、「オフィス街」という言葉が歴史上の死語になるなんてことも想定されると思ってます。小田島組様の取り組み、当社の得意とするクラウドツールの使いこなし、こんな現場レベルのモジュールがつながることで、ITツールという「製品」が、世の中にお役立ちを生み出す「商品」に変わっていく。
そんな将来を閃かせていただく機会となりました。小田島社長はじめ、小田島組の皆様に感謝申し上げます。