(ほぼ)毎年、「神在月」の出雲を業界の仲間と訪れるようにしています。きっかけは2013年の式年遷宮で、可能な限り伊勢神宮と出雲大社はお参りをするようにしています。
人間は合理的に動くようで、実は非合理・不合理に動いている。
「経済人」の存在を前提とした旧来型の経済学が、現実の世の中から不況をなくせいない、根本的な要因がこのあたりにあります。
「理論」「理屈」「論理」は、道具・手段としては重要だが、決して「目的」にはなり得ない。実際、某社長のパチンコ教室は、理論的にはハチャメチャでも実績を上げているのが事実であり、演繹的なアプローチと帰納的なアプローチ双方利点を活かしつつ、現実現場がどうなっているのかが一番大切です。
マーケティングの「セオリー」として広く流布されている概念(かの有名なパレートの法則含む)でも、実際にデータに基づいてチェックしてみると、有意差がでていないとかってことはざらにあるんです。
前置きが長くなりましたが、なぜ歴史を超越して多くの人が民俗行事をやり続けているのか。これを頭と体で考える機会として、代表的な存在である寺社仏閣巡りは有効な手段だと思うようになってきました。
理屈では「割り切れていない」・「理解できていない」、「非合理な存在」が世の中にはたくさんあり、「割り切れていないアナログな存在」を「皆で扱いやすい分割されたデジタルな存在」に変換し、加工・伝達・保管といった処理を低い労力で実行した後、今一度「統合されたアナログな存在」に変換することで実存する価値に結びついていく。
デジタル庁の創設や、デジタル・トランスフォーメーションといった言葉の流行など、ここ数十年は「デジタル化=目指すべき将来の姿」みたいな機運も感じられますが、個人的には最終的には「アナログが現実」「現実第一主義」だと考えているので、デジタル化は必須の目標や手段になっても、目的ではないということを念頭に、自社や支援先のデジタル化を進めていこうと思います。