GWs(Google Workspace)の進化が止まらない。
昨年、新型コロナによる緊急事態宣言が初めて発せられた頃のリモートミーティングといえば、日本ではほぼZOOM一択、シェアも8割を越えていたそうだ。
対抗馬としてMicrosoftのTeamsやSkype、ChatWork Liveなどが林立し始め、Google Meetはその中の一つであった。
2021年現在、日本におけるリモートミーティングのシェアでは引き続きZOOMが1位とのことだが、そのシェアは40%を若干下回るという記事を目にする。正確な統計を取る手段もないのだろうが、体感的に言うと、自分を取り巻く環境(社外)の中では半分がZOOM、3割がMeet、残り2割をその他のサービスで、といった感じになっている。
各種記事・ブログでも、各種リモート会議システムの比較記事がネット上に挙げられているが、進歩の早いこの世界、少なくともここ3ヶ月以内に投稿されている記事を読むことをおすすめする。
去年の5月頃は、ZOOMに比べると出来損ないのプロトタイプにしか見えなかったGoogle Meetだったが、今現在では、私の感覚だと大規模なウェビナーを行う必要のある人以外、ZOOMでできてMeetでできないことは無い、といっても過言ではないし、ZOOMにしかできないことをやろうとするということは、それなりの情報機器設備環境と使用能力を持った集団に属している必要があるだろうから、中小企業レベルであれば、もはや気にする必要はない、とも言える。
「ZOOMにしようかMeetにしようか」と悩むのは、ゴルフで例えると「テーラーメイドにしようか、キャロウェイにしようか」ぐらいの悩みであって、クラブの性能(リモートミーティングサービスの性能)よりも、プレイヤーの技量(回線・音響などの設備環境と、使用する人の機器操作能力)の影響のほうが大きいと思ったほうが良いです。
むしろ、後者のレベルによって、「リモート会議」を使った生産性が上がるのか、下がるのかは決定されると言える。
たまに「リモート会議はだめだ」的な、一事が万事症候群のご意見も目にする・耳にするが、そういう人に限って自分自身や自分の属する集団の技術レベルを上げることへの関心が希薄だと(それが直ちに業績アップに悪いということではないが)、心のなかでは思って受け止めている。
新しい道具を使うとき、人は本質的に抵抗感を示す、と言われる。
面倒くさいし、今までの有形無形の資産が傷つくかもしれないし、やってみないとわからないこと=「リスク」が生じることに対する、DNAレベルでの嫌悪感なんだろう。
全くの私見であるが、歴史的地政学的に見た時に、日本という国はユーラシア大陸の端の端であり、大陸で巻き起こっていた各種争乱から逃げて・負けて・避けて来た人たちの子孫の集合体という歴史的要素と、温暖多湿、平地が狭いながらも狩猟に依存せず、農業によって多くの人口を支えられるという自然環境要素が相まって、「和を持って尊しとなす」「一所懸命」といった慣用句に示されるような、「安定と中庸が成功に結びついてきた」という実績が、良くも悪くも「日本的」と言われる行動・文化を支えていると思う。
対極にいる、歴史上長い期間開拓・狩猟が生活の基盤にあった文化圏に育った人たちとの、様々な「常識」の違いはこんなところによると思っているのだが、これまた幸か不幸か、飛行機を中心とした移動手段の発達と、インターネットなどによる情報伝達手段の発達は、2つの異なる背景を持った文化・経済集団の交流を避けがたいものにしている。
仮に2つの文化が争った場合、短期的には攻める側が有利。すなわち、現実問題としては、積極的にリスクと向き合い取り込み乗り越えてきた「厳しい環境」で育てられた行動様式が「温かい環境」で育てられた行動様式を凌駕するのは避けがたいと言える。
柔らかく言うと「あなたが変わりたくないと言っても、周りが変わっていくよ」「あなたがリスクを避けたいと言っても、リスクを取る人にやっつけられるよ」という時代だということである。
「リスク管理」が大切という前提としては、「リスクはそこにあり、避けるべきものではなく、見つけ・理解し・対応するものである」というパラダイム(ものの見方)にあることが必要である。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」などとも言われているが、生きているということはその事自体が「不確実性」と向き合うことだという前提で、「絶対大丈夫」「絶対ダメ」という実験室の中にいるような「all or nothing」という仮説の世界は早々に切り上げ、「まずはとにかくやってみる」「予測される損失を自分が対応可能な範囲でとどまるぐらいでやってみる」「うまくいっているのかだめなのか、結果がすぐに理解できるようにやってみる」、という「早い・小さい・具体的」な挑戦の連続が重要である。
今の世の中、1週間に1つ、リスクを伴う上記3つの要件を満たした「挑戦・チャレンジ」ができていれば、その人や集団は相当前向きと評価されるのではないだろうか。超一流は日単位・時単位でチャレンジしている。
コンセプトやスローガンだけでなく、スケジュールを伴った具体的なレベルでの「チャレンジ」を、まずは何回やったか、続いてそれによる損得勘定はどうなったか、を定量的に評価することが、デジタルなデータドリブン時代の「人事評価」に必要な要素と心得よう。